
記事を書いた人
星 由希子
HOMEPLUS history
■子どものころからお家が大好き
小学生の時、マンションや一戸建ての写真がたくさん載っている不動産屋さんのチラシが好きでした。リカちゃん人形のお家を新聞紙やティッシュでつくっておままごと。そんな、お家大好きな子でした。
そんな想いは大人になっても変わらず大学では道に迷いなく「建築」を専攻。「やっぱりお家(建築)の世界は面白い!」。よりお家のことを学んで念願の設計士の資格を取得。そして大手住宅メーカーに就職することに。小さなころからの夢が叶い、ほんもののお家づくりに携わることが出来る、そう胸をトキめかせました。
■恩師との出会い
住宅メーカーでは営業部に配属されました。さすがに日本を代表する住宅メーカー、優秀な方ばかり。その中でも、トップ営業マンのNさんとタックを組んで頂けることになったのですが、そのコミュニケーションに衝撃を受けました。住宅メーカーの営業マンでありながら、お打ち合わせでは住宅のことをまったく話しません。玄関に釣り竿が飾ってあれば釣りの話を、お孫さんの写真盾があればお孫さんの話などをずっと楽しそうに談笑しているだけ。だけど帰るころにはお客様はNさんのファンになっているのです。
「住宅メーカーの営業は住宅を売るもの」そう思い込んでいましたが、それはまったく違っていました。お家づくりはデザインや機能が大事です。だけど、そこで暮らすのは生身の人。どんなデザインがよいか、どんな機能を求めているかは人それぞれ答えがある。「まず、徹頭徹尾その人のことを知ることが大事なんだよ」Nさんから頂いたアドバイスによって私の仕事観が大きく変わりました。
■HOMEPLUSのはじまり
大きな組織の中では営業さんや設計士さんなど色々な立場の人の顔色を窺わなくてはいけなく自由にお客様に提案することができません。「自分たちの手で、お客様に本当に喜ばれるお家づくりをしたい」そんな気持ちで2003年、もともと同じ業種で別の会社に勤めていた夫(現在の社長)と、ハウスメーカーのリフォーム部門の工事店として『HOMEPLUS』を立ち上げました。起業なんてまだ私たちには早いかも。そんな不安もあったけど、若さゆえの勢いと、独立願望の強かった夫の想いを叶えたい気持ちもありました。
■人生最大の挫折
しかし、会社を立ち上げたもののすぐに人生最大の挫折が訪れます。大きな会社の人から小さな会社の人となり、仕事を発注する立場から発注してもらう側に。これまでやったこともなかったのに、泥だらけになりながら床下や屋根裏に潜ったり、重たいゴミを両手に抱えて運んだり…。大手ハウスメーカーの看板がなくなった若造の私達の指示では、年配のベテラン職人さんが今までのように動いてくれない、そんなことも多々ありました。「道を間違えたかも…」しょっぱなから起業したことを後悔しました。
■感動のリフォーム・リノベーション
それでも諦めないで与えられたお仕事にコツコツと向き合っていたらお客様方にもやっと認めもらえるようになって会社を軌道に乗せることができました。そんな、どん底時代に私たちが力を注いだこと、それはやっぱり恩師Nさんに教わった「徹頭徹尾その人のことを知ること」でした。
例えばコンセントをつける位置一つとってもそう。何も考えなければ床から20cm、25cmのところにつけるのが一般的。だけど、大切なのはコンセントではなくお客様がそこに置きたいものがテレビなのか机なのか、そして、そのテレビや机でどんな暮らしを望んでいるかを「知る」ことが大切だったのです。そのうえでコンセントの位置もミリ単位で設計する。細かなリフォームでも、大掛かりなリノベでもそんな細かな一つひとつすべてプランニングできて初めて、お客様に「リフォームしてよかった!」と感じて頂けるのです。
■最高のチーム
建築の世界では、一般的に職人さんは自分の専門領域以外には首を挟まないのが昔からの常識ですが、HOMEPLUSの現場では、監督と設計士を中心にして内装や電気、設備といったそれぞれの職人さんが、現場全体のことを理解してお互いがお互いを働きやすいように仕事を進めていく文化が出来上がりました。それぞれの腕はもちろんのこと、みんな建築の職人さんにありがちな強面な感じはなく、どこかアットホームな最高のチームです。
■地域の誰もが気軽に利用出来るリフォームのご相談窓口に
ハウスメーカー専属の工事店として始まった『HOMEPLUS』。日本を代表するハウスメーカーの厳しい品質基準のリフォーム現場を支えてきた設計や施工技術、多様なリフォームサービスを「地域の誰もが気軽に利用出来るリフォームのご相談窓口」としてOPENしました。リフォームやリノベーションを通して、お客様の暮らしにたくさんのハッピーがPLUSされますように。